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特集 vol.1
国連デーフォーラム 「国連で働く」
国連が誕生して58年目の今年、日本にある国連機関が渋谷のUNハウスに集い、10月24日の国連デーを記念する公開フォーラムを開催しました。
セッションIでは、アフリカ系米国人として初めてノーベル平和賞を受賞した故ラルフ・バンチ国連事務次長の生誕100周年を記念し、黎明期の国連を通じて中東やアフリカでの平和の構築に寄与したバンチ博士の功績などについて明石康氏(元国連人道問題担当事務次長)によるエピソードを交えた基調講演が行われました。セッションIIでは、国連機関の「現場からの生の声」と現在の国連機関の様々な活動が若手国際公務員によりビデオやスライドなどを交えて紹介されました。ここでは、セッションIIの様子をご紹介します。
パネラー紹介
Ms Mio Takada WFP
(United Nations World Food Programme)
Mr
Kazuto Tsuruga UNDP (United Nations
Development Programme)
Dr.
Yasushi Katsuma UNICEF (United
Nations Children's Fund)
Ms.
Eriko Kiuchi ILO (International
Labour Organization)
Dr.
Masahiro Umezaki UNU (United Nations
University)
Dr.
Chizuru Aoki UNEP (United Nations
Environment Programme)
→どのようなキャリアパスが必要?国連職員の苦労は?などなど気になる質疑応答部分はこちらへどうぞ
Ms Mio
Takada WFP (United Nations World Food Programme)
1997年からWFPでは「食料のための石油」というプログラムに年間35億ドルの予算を出してイラクへの食料配給を行ってきました。その結果、1997年に30.3%だった栄養不足の人口が2002年には17%に減少しています。ただし、依然としてイラク中央南部では5歳以下の栄養不足が20%超という厳しい状態が続いており、これはイラクが20年にわたって戦争を続けてきたこと、また米国の経済制裁が長引いていることなどが原因となっています。
私は、北イラクのクルド人地区で働いていました。私としては、イラク国民の非常に貧しく厳しい状態を知っていたので、最後の最後まで戦争にならないでほしいと思っていたのですが、ついに戦争に突入してしまいました。私が北イラクに残っていた最後の女性スタッフだったのですが、3月15日に撤退勧告がでて現場をあとにせざるを得なくなりました。
3月20日に戦争が始まり、スタッフはクウェートやヨルダンなどの周辺諸国に移ってイラクからの難民支援にあたりました。また、戦争後にすぐにイラクに入って活動ができるようにとセキュリティに関するトレーニングを受けたり、食料の備蓄作業を進めていました。
ブッシュ大統領の宣言を受け、5月にイラクに戻ることができるようになりました。5月4日にイラクに入り、イラク側のスタッフと再会を喜びあったことは忘れられません。
私たちがイラクに入って一番最初にしなければならなかったことは、全国民への食料配給システムの復旧でした。
まずは、現地のスタッフにコンタクトをとり、それから各種の政府や駐留米軍と調整を始めました。この仕事を進める上でもっとも大変だったのが、みなさんテレビでご覧になっている方も多いと思うのですが、略奪行為の爪痕です。サダム政権で圧政下におかれていた住民は、徹底的な政府機関の破壊と略奪に走ったのです。それは、食料配給を担当していた省庁のオフィスも例外ではありませんでした。このような状態から一刻も早い復旧へ向けて、WFP、政府、米軍、NGOなどが一丸となって不眠不休で対応し、ようやく6月1日に戦後はじめての配給にこぎつけることができました。
このような状況で私たちがやらなければならないことは、ターゲットを絞った支援です。すなわち、もっとも貧困にあえいでいるひとたちへ焦点を絞っていきました。まず私たちが始めたのが学校給食プログラムといって、子供たちに学校でビスケットを配りました。それによって子供たちは喜んで学校にくるようになりましたし、集中して勉強できるようになり、成果をあげています。それからサマーキャンプのプロジェクト。これは、NGOおよび地方政府と協力して、ストリートチルドレンに遊ぶことを体験してもらうものです。というのは、イラクの子供たちは20年間戦争の中で生きてきたわけで、リラックスして遊ぶということがまったくなかったのです。そこで、子供たちにサッカーや、手芸、柔道なんかで思いっきり遊んでもらいながら、食事や保険衛星、人権や地雷の危険などについて学んでもらったのです。
こうして復興の兆しの中で活動していたのですが、8月19日、9月22日の国連の建物への攻撃があり、これで99%の国連スタッフがアンマンに出ることになりました。それで、これから国連はイラクでどうしていくのか、ということですが、今後は長期的な視野にいれて復興援助にかかわっていく方針です。まずは調査、データを進めることが必要で、これはサダム政権下で立ち入ることができなかった地域がたくさんあったことが原因です。こういう地域は圧政下におかれて非常に厳しい生活を送っておりますので、彼らがどのような支援を必要としているのかをまずしっかりと調べる必要があるのです。そして、それらの調査に基づいて、イラクでもっとも貧しく、もっとも困っている人たちのために長期的なプログラムを開始していかなければいけないと思います。ドナーやNGOとの連携も必須です。
おりしもアナン事務総長がコメントしていたように、イラクの復興は長い、長い、長い道のりだと思います。確かにイラクのインフラは破壊されましたし、治安も悪化しました。ところが、今現在イラクが抱える問題は、20年間にわたる戦争、そして12年間にわたる経済制裁によるものが大きいんです。それらを解決するのは一朝一夕ではかないません。みなさんにも関心を失わずに見守っていてほしいと思います。
私自身は、イラクで毎日のように銃声やロケット弾の音を聞きながら、外へも出歩けず、緊張感の中で働きました。その反面ゼロから復興に携われたこと、そしてイラクや国連のスタッフとともに一緒にひとつのものを築いていけるという非常に貴重な経験をさせていただいていると思います。とにかく今は一刻も早くイラクに戻りたいです。
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