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体験談コーナー vol.1
青年海外協力隊〜トンガの仕事
柴田裕之さん
協力隊を志願するまで
協力隊のことを考え始めたのは、大学の工学部を卒業し医療機器を開発するメーカーに就職して3年経った時でした。当時の開発の仕事は学生の頃の希望の職種だったのですが、いざ仕事を始めると理想と現実のギャップに悩みました。自分に何が出来るか、自分は何をするべきなのか探したいと考えるようになり、そのために選んだのが協力隊でした。上司の理解を得ることができ、2年間のボランティア休職を取り協力隊に参加することが決まりました。
仕事内容
私の仕事はトンガの主幹病院であるVaiola Hospitalの保守管理課(Maintenance
Workshop)で医療機器のメンテナンスの仕事をしながら、現地スタッフに医療機器メンテナンスの技術を教えることでした。
仕事の背景について簡単に説明しますと、トンガの病院には日本やオーストラリアから医療機器が寄付されていたのですが、その多くが機能していなかったり使いこなされていませんでした。日本では考えられないのですが、中古の医療機器が多く使われていて、頻繁に故障していました。現地の技術スタッフでは対応しきれず協力隊への要望が挙がり、私がトンガの初代医療機器隊員になりました。
実際には、医療機器以外にも何でも修理していました。クリスマスツリーの電飾からエレベーターまで修理していました。
どのように仕事を得たのか?自分のどのような点が採用に結びついたと思うか?
青年海外協力隊の採用は一次試験の筆記試験と二次試験の面接試験、それと健康診断の結果で判断されます。詳しくは青年海外協力隊のHPを参考にして下さい。
一次試験は技術試験と英語ですが、共に過去問入手可能です。私が試験を受けた当時は、技術試験問題は神奈川県庁図書館まで出向いてコピーをとって、英語の試験問題は説明会会場で買いましたが、今はWeb上で入手可能です。
求められる技術レベルは要請内容により異なりますので、技術試験の過去問と募集要項の要請内容を参考にして下さい。募集説明会会場ではさらに詳しい要請内容を知ることも出来ます。私の場合、当時していた医療機器の開発の仕事で得た知識が要請内容と重なる部分があったので仕事で習ったことをおさらいし、足りない分は出身大学の医学部の図書館に学生のふりをして入って勉強していました。
求められる語学レベルも要請内容により異なりますし、現地で使われる言語も様々です。1次試験の語学試験は英語ですが、この時点で英会話に堪能である必要はありません。まずは過去問を解いて、足りないと思う分は英会話の参考書などで補うと良いでしょう。受験英語の参考書は使わないで下さいね。多分逆効果になると思います。先の話になりますが、もし採用が決まったら、派遣前合宿訓練を待たずに派遣国の言語の勉強を早いうちに始めることを強く強くお勧めします。試験に受かったからあとは派遣前訓練を受ければいいや、という人が実はほとんどなのですが、派遣されてから語学で泣きを見る人が多いのも事実です。
2次試験は技術面接と「人となり」をみる面接があります。私の場合、技術面接の準備は1次の技術試験の延長で、実際の面接では「何を知っているか」よりも「何を知らないか」を聞かれて、結果として技術補完研修を受けることを条件に採用が決まりました。職種によっては高度な知識を求められたり実技を見せる場合もありますので、募集要項で確認して下さい。
「人となり」をみる面接でアドバイスすることは、ありません。今更自分を飾っても仕方ないので、ありのままの自分をさらけ出して下さい。むしろ、自分を飾って受かってしまった場合、後で困るのは自分だけでなく、派遣先にも迷惑をかけることになります。私の場合、自分を飾る気はありませんでしたが、スーツを着ていきました。これは私の当時のスタイルでした。けど、2次試験会場でスーツを着ている人は滅多に見ませんでしたね。それと、試験官は複数いるのですが、質問に答えるときは質問した試験官だけでなく、全体を見渡して他の試験官の目も時々見ながら話していました。これも私のいつものスタイルなので、いつもうつむいて話す人は面接でもうつむいて話して下さい。別の言い方をすれば、普段から「自分は協力隊に受け入れられる人間なんだ」と言えるくらいの気持ちでいて下さい。
現場で仕事をしていたときの、「ここにやりがいを感じた」という点、また「この仕事の闇の部分」について
この仕事は常にジレンマとの戦いでした。私がするべきと考えていたことは現地スタッフに技術を教えて私がいなくなっても彼らだけで仕事をこなせるようにすることでしたが、彼らが私に求めていたことは自分たちで出来ないことを替わりにしてもらうことでした。それだけしていて2年間の任期を過ごしても良いのですが、後には何も残りません。「どうして彼らは協力隊に技術協力を要請しておいて自分で勉強しようとしないのだろう?」と思っていました。
お恥ずかしい話ですが、彼らに勉強することの必要性を教えることも含めて私の任務なんだと気付くまで数ヶ月かかり、さらにそれを教えるのは言葉じゃなく態度なんだということに気付くまで1年かかりました。もちろん、そのことに気付くまでの間も、私の態度は少しずつ彼らに影響を与えていたと思います。後になって思えば、そうした葛藤の中にやりがいを感じていたんだと思います。
私と現地スタッフの意識の差はとてつもなく大きかったです。派遣前訓練でも日本と途上国の文化の差については散々聞かされるのですが、実際に目の当たりにするとボーゼンとすることもあります。これは他の職種でもよく聞く話ですが、隊員が何か指導すると、「君は日本人だから出来るだろうけど、この国にはお金もないしトンガ人の俺には出来ない。」みたいなことを言われるんです。日本流の仕事をそのままトンガに当てはめることが出来ないのは百も承知だけど、トンガ人だからトンガ流の仕事を続けていたのでは協力隊員が来た意味がない。どこかで、それまでのトンガ流とは違う、一歩でも半歩でも進んだ仕事の方法が見つけられればいいのですが、言葉で言っても伝わらないそれは、やはり同じ目線で一緒に仕事をしてお互い影響し合いながら見つけていくものだと思います。
時には自分の仕事の見方を変えることもありました。現地スタッフには手に負えず私一人で機械を修理することも時々あったのですが、初めのうちは意味のないことをしてしまったと考えていました。現地の技術スタッフの技術力向上こそが自分の仕事だと考えていました。けど修理を依頼した医師や看護婦に感謝されると、そうか、自分はこの人達のため、さらには患者たちのために仕事をしたんだ、と考えるようにもなり、それもやりがいと感じるようになりました。
時々、顔がほころぶくらいやりがいを感じることもありますよ。私が赴任して間もなく購入した医療機器の検査機があったんですが、真新しくていろんな機能がついたその機械を、現地スタッフは怖がって使ってくれなかったんです。技術スタッフが機械を怖がるって、どんな状況か分かりますか?購入してから1年半くらいは私一人しか使ってなかったんですが、ある日スタッフの一人がその機械を貸してくれって言うんです。自分が使うから、使い方が間違ってないか見ていてくれ、と。やっと自分で使う気になったかと、正直嬉しかったです。けど実は、同じ病院に併設されていた看護学校の授業でその機械を使った研修があって、彼はある看護婦さんにその機械を操作してくれと頼まれたそうです。どうやら、若い看護婦さん達の前でかっこいいところを見せたかったみたいです。動機はなんであれ、それまでトンガ人には使えないと思っていたその機械を自慢げに操作する姿を見たときは嬉しかったです。それ以来必要な時は看護婦さんがいなくても使ってくれるようになりました。
帰国後から現在までと今後の展望
2年間の任期終了後は当初の予定通り休職前の職場に復職しました。休職前は国内製品担当だったのですが、復職後は海外経験を買われ同じ職場の海外製品の担当になりました。しかし、協力隊時代に芽生え始めた国際協力のプロという新しい夢が頭をもたげ始め、2年3ヶ月務めた後に円満退職しました。現在は、日本人が国際公務員になるための実質必須条件である海外での修士号取得のためにカナダの大学院に留学中です。医療機器の開発から少し進路を変え、環境に優しい工業製品設計について勉強しています。
現在の修士課程終了後はメーカーに就職して設計者としての実務経験を積もうと考えています。十分な実務経験を得た後に、国際公務員として途上国での持続可能な工業製品設計の仕事をしたいと考えています。感傷的な話になってしまいますが、夢に終わりはありませんね。協力隊はかつての夢でしたが、今では過去の現実です。楽しかったことも辛かったことも含めていい勉強になったと思います。今は国際公務員という新しい夢を求めています。現在のカナダ留学は将来の夢の実現のために必要な手段ですが、ある意味で小さな夢と言えるかもしれません。今の生活は7年前の自分には想像もできなかった世界です。もし希望通り国際公務員になれたとしたら、それもきっといつかは過去の現実になり、新しい夢を求めるのでしょう。
夢は見るものでも語るものでもなく実現させるものです。
同じ分野の仕事を目指される方へのアドバイス
協力隊に主に求められるのは技術と語学力ですが、どちらも準備して準備しすぎることはありません。先にも触れましたが、語学の勉強は出来る限り早いうちから始めることをお勧めします。私の知る限り派遣前訓練が始まる前に語学の勉強を始める人はほとんどいません。協力隊というと国際派のイメージがありますが、海外に出るのは初めてという人も結構います。私もそうでした。合格した人の中には2ヵ月半合宿訓練で語学を学べば大丈夫だろう、と考える人が多いようですが、派遣されてから語学で困ったことがない隊員は少数です。
協力隊の活動は結果よりむしろ課程が重んじられるので、低い語学力でもそれなりの活動が出来てしまいます。しかし語学力が違えば任国への貢献度も自分の満足度も違います。私は合格通知をもらってから派遣前訓練が始まるまで英会話にかなりお金と時間を投資しました。満足できる語学力は得られなかったものの、あの投資がなかったらトンガでの活動も今の自分もなかっただろうと今でも思います。発破をかけるようなことを言ってしまいましたが、だからといって完璧は求めないで下さい。それは、所詮無理です。むしろ完璧を求めることは勉強の障害になると考えてください。目に見えるゴールはありませんが、出来る限りの準備を怠らないでください。
合格して、準備を整えていざ任国に赴任したら、郷に従って下さい。任国でのストレスはきっと想像以上で、イライラすることもたくさんあると思います。「日本人だから出来るだろうけど自分はトンガ人だから出来ない」ということを言われるという話はしましたが、逆に隊員が「自分が指導したことをどうして彼らは出来ないんだ。これだからトンガ人は駄目だ。」と言うこともあります。
日本にいる皆さんなら、トンガ人に日本流をそのまま押し付けることは無理なので受け入れやすい形で少しずつ教えなくてはいけない、ということはすぐに理解できると思います。しかし現地で、日本にいた時は想像もしなかったストレスに襲われると、ついイライラして正しい判断が出来なくなることも多々あります。だからトンガ人は駄目だ、と言いながら2年間の活動を終わらせることも出来てしまいます。そんな有意義とはいえない活動をしながら任期を終える前に、日本は日本で任国は任国ということに気付いて、郷に従う気持ちを思い出してください。イライラの元のストレスも、郷に従えないでいることに起因することもよくあることです。かく言う自分もついイライラしてトンガ人の悪口を言うこともありました。派遣前訓練の最後には所信表明のようなものを書くのですが、私は任国でそれを読み返して、自分が恥ずかしいと思ったことがあります。
今だからこそ言えることですが、任国で辛いことがあったら、自分がどうしてこの道を選んだのか思い出してみて下さい。そして有意義な2年間を過ごしてください。
鉄は熱いうちに打て、ということで、この記事を読んで何かを感じた人はすぐに実行に移してください。
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