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体験談コーナー vol.2
コンサルタントからダンサーへ〜ゼロからリバーダンスへの軌跡(前半)
林孝之さん

出会い
人間の運命を変える出会いがある。

普通は男女間で起こるし、人生の師となる人物との遭遇かもしれない。
僕は人ではなく、リバーダンスというものに出会ってしまった。

リバーダンス、このアイリッシュダンスをメインにした舞台に出会った瞬間に、僕はこの世にこんな人を感動させるものがあったのかと衝撃を受けた。今までIT関連のコンサルティングファームで働いてきていて、この仕事は自分の天職だろうとも思っていたし、その道で3年スパンでずっとキャリアアップさえ考えてきたのだが、そのことが頭から無くなるほどの衝撃だった。

自分は”活きている”のか?

今まで自分はどれくらいの人のために仕事をしてきたのか、そして将来どれくらいの人のために仕事ができるのだろうか?自分はどれくらい活きてきたのだろう?そう考えたときに、この国境、言葉すら超越するアイリッシュダンスに秘める可能性は無限のように思えた。

元々僕は、人のために何かをして喜んでもらうことによって、さらに自分の喜びにつなげ活力を高めていくタイプなだけに、余計に深く考えた。自分の潜在能力を発揮すれば、きっとそこに辿りつける。こう書くと、今までに何らかのダンスのキャリアがあるのだろうと思われる方がいるかもしれない。しかし、僕は今まで全くダンスに対して、自分でやるどころか、見ることさえも興味はなかった。年齢も若くはない。それでも自分の中に眠っている何かがそう訴えていた。

正直に生きる
問題は、その衝撃がどれ位持続するのか、そこを見極めれば良い。短すぎでの結論は、無謀の謗りを免れないし、長すぎても自分の体力的な限界はその分落ちていく。この期間は結局1年に設定した。ただ時間を待つだけでなく、僕は仕事が終わり、家に帰ってから毎日1時間、自分で練習を続けた。

幸いなことに自宅から河川敷まで近かったこともあり、板を持って運び、高架の近くで練習した。仕事の関係上、帰宅は遅くなることが多く、時には深夜2:00から始めることもあった。そして、まだ見ぬ厳しいレッスンにも耐えられるよう、会社まで片道18kmを自転車通勤して体力を鍛えていったのである。

自分に正直に生きる方法、それはとことんやってみることである。そうすれば自ずと結果は見えてくる。そこで終わるのか続くのか?

結果、この意志が続くというよりも、更なる光すら放ってきたので、僕は今までのコンサルタントキャリアに終止符を打つことを決め、単身アイルランドへ渡ることを決意したのである。

27歳での決断だった。
これからは夢を実現するために自分をコンサルトしていく。

夢に賭けた値段
先生と話していて、「1年間に一体いくらアイリッシュダンス習うのにお金を使っているんだ」と聞かれた。「ざっと計算してみると、月にレッスンフィーだけでも1600ユーロ、家賃や生活費も合わせて(外食せずかなり節約しているが)2400ユーロかかってるから、年間28800ユーロ(375万円、1ユーロ約130円計算)。

でも、自分が実際に使ってると思う金額は、それだけじゃなくて、仕事を捨ててダンスだけに打ち込んでいるから、その分の給料をまるまる受け取れないと考えると、年間で約80000ユーロ(1040万円)かな。」と答えた。

職場復帰できなくなるリスクを考えると、それ以上かもしれない。 「Takaはそれでだめだったら、怖くないのか?」と聞かれた。 この質問は日本に居たときにも聞かれたことがある。

全く怖くないと言ったら嘘になるかもしれない。けど、その怖さを超える何かがそこにあると思った。

自分が何者なのか?

アイデンティティ、ただのパスポートや身分証明じゃない自分の存在がそこにあるような気がしてならなかった。今までの自分の肩書きは一切無用、あるのは肉体と魂だけ、それで自分が何者なのかを確立すること。

今までの自分にあったアイデンティティというものは、根底から崩れるような、そんなものに出会ってしまったのだ。生まれ変わることと、ほぼ同意かもしれない。もともと1000万円を日本で貯めてきているが、3年でそのお金は無くなるだろう。それで自分の全てを賭けてもものにならなかったら、そこは自分の居場所ではなかったということだ。ただ、3年間でできなかったら、6年間で貯めたお金も仕事も(時に親しい人との交友関係も)全て無くすかもしれない。その気持ちでやってできなかったらば、それはきっと10年経ってもできないものだと思う。

自分を強く信じること。

もし自分で自分を信じることができなかったら、他の人がそんな自分を信じることなんてとてもできないだろう。

夢を幻にしないために
自分にはこのダンスが絶対にできると信じていたが、そのためには自分の中で絶対に譲れない条件もあった。それは、まず世界チャンピオンになったことのある若い先生に教えてもらうこと、最低でも1回2時間、週3日間はプライベートレッスンを受けられることだった。

ここまで用意できて、それでものにならなかったら、それは自分の力が足りなかったという事で納得が行く。実際は、その仮定条件の道のりこそが非常に険しいものであった。ただ、とにかくそこまで行かず、途中でやめることは自分のアイデンティティも揺らぐし、そこで止めたら、自分の生き方が甘すぎると言われても反論すらできない。条件を満たせなかったからという言い訳だけは口が裂けても言えない。駄目だったらせめて、力の限り挑戦したけど駄目だったと胸を張って言いたいから。

3年でトップの位置まで行けるのかということについては、自分の立てた仮説を信じるしかなかった。通常、リバーダンスの舞台に立つ人間は、5歳位から始めて、10年以上競技の世界で戦い抜き、トップの座を獲得したダンサーだと言われていた。

仮に12年かかると仮定し、それまでチャンピオンダンサーの平均である週5日間、1日2時間の練習を続けたとすると、3年でそれに追いつくには時間数だけで考えると、週6日間、1日約6.5時間やれば追いつけるはずである。さらに、1日中ダンスのこと、音楽のことを考えていたら、能力の伸びは飛躍的に高まるはずだし、長時間繰り返しやることは、覚えるスピードも放物線を描くように加速的に速まる可能性が高いと思っていた。

なので、実際は、6.5時間できなくても、1日実働4〜5時間実技集中できて、残りの時間もダンスのイメージトレーニング等しさえすれば、必ず追いつけると仮定していた。とにかく密度を濃くすれば達成できる可能性は高い。

現実の壁
この仮説を頼りに単身渡愛したわけだが、思うように行かない現実に直面する。まず、世界チャンピオンの先生どころか、ステップダンス(タップダンスのような音の出るアイリッシュダンスの種類の一つ)を大人に教える先生にすら出会えないという壁にぶち当たった。

インターネットが発達している現代でも、国によって発達度合いに格差がある。アイルランドはインフラ整備がまだまだ遅れており、ダンスの情報発信をしているところは皆無に等しく、日本に居ながらにしては、欲しい情報が非常に手に入りにくかった。現地でトライ&エラーを試みることが多くの正しい情報を得られる唯一の手段のように見えた。

実際に、アイルランドにたどり着くやいなや、いの一番に大学の教授にコンタクトをとった。ステップダンスを教えてくれる先生を紹介してもらったのだが、実際連絡してみると、大人は教えていないとあっさり。その先生から次の先生を紹介してもらい、同じように連絡してもまたたらい回しに。結局6人ほど連絡をとった後、一番最初に紹介してもらった先生に再びたどり着いてしまったので、そこでジエンド。

大体が年齢、経験を聞かれ、28歳、自己流で始めて半年と言うと無理と言われる。かのリバーダンス初代主役ダンサーも始めたとき、12歳からではもう遅いと言われているのだから、当然と言えば当然なのだが。どうやら、アイリッシュダンスというものは子供がやるものだということらしい。バレエの世界と変わりはないように思う。直ぐに上手く行くとは思わなかったにせよ、いきなり壁に躓く。

暗中模索の日々
ここであきらめるわけには行かないので、とりあえずは日本でやっていたような、自己流ダンスの練習をする。それも最初はホームステイしていたので、ほとんど練習できない。アイルランドはダンスと音楽の国だ!という思い込みが非常に強かったので、ホームステイ先に子供がいると聞き、絶対にダンスをやっているに違いないと思い込んでいたのだが、一瞬にしてそれは妄想だったことに気づく。日本でたとえるならば、柔道のような位置づけに似ているかもしれない。

とりあえず、これではまずいと思い、3週間後に、ホームステイをやめ、一人暮らしを始める。結局家探しに落ち着くのに2ヶ月かかったが、これは早い方なのかもしれない。その間はただ家探しではなく、パブに行くことがほとんどだった。

毎日のように行っていた。
リズムに慣れるために、音楽をとにかく聴くこと。
そして、自己流だがとにかくステップを踊ること。

こうして、2001年11月から翌年1月までの期間は過ぎた。自己流だが、不思議とアイリッシュにも認めてもらえていた。だけれども、自分で練習していてもどうしても自分が見たリバーダンスの人達のようには踊れない、根本的に何かが違うことは前からずっと分かっていたけれども、自分の前に道は未だ開けていない。

何のためにアイルランド来たんだろう・・暗中模索の日々が続く。

揺るがぬ気持ち
このままでは前に進めないことがわかっていて、何か次の手を打たなければという段階にきた。そして、アイリッシュに誘われて、ケーリーダンスをすることに。ケーリーダンスはソロのステップダンスとは異なり、グループで行うダンスで、年齢層の高い人が多く、ステップも激しいものではない。アイリッシュダンス界では社交ダンス的な役目を果たしている。ここで、ケーリーダンスを教えてもらうとともに、ダンススクールの情報を聞き出そうと思ったのである。

ダンスをやっている人たちは、本当に良い人達ばかりで気持ち良い。早速、ダンススクールが見つからないということを話すと、この場所で何曜日の何時からレッスンがあるというのを教えてもらえるのだが、ケーリーダンスのレッスン・・・。結局最後に自己流ステップしていると、そこにアイルランド公認教師の先生がいて、デモをしなさいということで、急遽やるはめに。

知っている一番速いステップをしたところ、認められた。これでますます先生さえ見つかればやれるはず、という気持ちが強くなったのは確かだった。

このことをきっかけに、次のステップを計画。 先生が見つからないならば、何か行動を起こさなければ、何も状況は変わらない。そこで、僕はストリートパフォーマンス、こちらではバスキングと呼ばれるが、それをやろうと思った。もうそこから這い上がるしかないとさえ思っていた。

もし、本当にステップが良ければ、話題になるはずだと思っていたし、それできっと先生が見つかると信じていた。 とにかく行動を起こすことが大切。 待っていては、向こうからは100%絶対に何もやってこない。

バスキングそしてローカル新聞へ
やっぱり街で踊ってみて、知らない人たちがどれだけ見てくれるのかで、判断材料にするしかないなと思った。正直、怖いけどそこで認められなかったら、それまでと判断するしかない。

ストリートパフォーマンスをやると、いろいろわかった。 ただ凄いと言ってくれる人、的確なアドバイスをくれる人、何事もないように通り過ぎていく人、遠くからじっと見ている人、リバーダンスの携帯音を鳴らす女子中高生など・・。

何よりも一人で、誤魔化しが効かないし、しかも狭い板のプレッシャーの中で踊ることは凄く難しかった。

でもここから道は確かに開けた。 アイルランドのローカル新聞に記事が載った。これが6月のこと。そしてとんとん拍子で、8月にダブリンでショースタイルのステップダンスワークショップがあることがわかった。初めは、ダンスビデオを出しているOlive先生のワークショップに問い合わせをしていたが、足の不調で、ワークショップがキャンセルになり、代わりにRonan先生のワークショップを紹介されたのだ。

これが運命的な出会いになる。

チャンピオンダンサーとの出会い
ストリートパフォーマンスをやった頃から、コークの友人達から、これからどうしていくのかと良く聞かれていた。僕は、おそらくストリートは9月からやらなくなるだろうと答えていた。絶対にワークショップから次の道が開けて行く、と言っていた。ワークショップの初日にクラスが発表されて、僕は初級クラスでの参加。まあ経歴はゼロなので、当然なのだが。

1週間のワークショップが終わった時、Ronan先生に是非プライベートレッスンを受けたいとお願いした。プライベートレッスンは、グループレッスンを行うよりも収益が少ないため、有名な良い先生になればなるほど、受けるのが難しい。

通常は大会で勝てる見込みのある子供だけが、スクール宣伝のために受けられるものなのである。当然、やんわりと遠まわしに断られるのだけれど、こっちは真剣そのもの。とりあえず、Olive先生のクラスでグループレッスンを始めようということに。

9月初めからOlive先生のクラスに週1回通うことになる。最初の時、なんでもない簡単なJig(リズムの種類の一つ)のサイドステップ(横に移動するステップ)を練習しなさいと言われ、それが俺の実力か〜と悔しく思いつつも、絶対言われたこと全てクリアして、次に進むぞと決意。

そして、ついに個人レッスンの許可が下りた。

先生は単なるステップ力だけでなく、僕の心を試していたのだった。単調な基本ステップは、ある程度ステップができると勘違いしている人ほど、真剣にやらないのだろう。後述するが、ショーの舞台では簡単なステップをするため、基本力が求められるのである。その基本力は今考えてみると、正直なところ当時の僕は全く無かったと思う。だからやらせたというのもあったのだろうか、と今は両方の意味で思っている。とにかく、こうしてようやく先生が見つかり、認められた。

アイルランドに来て9ヶ月間、長い道のりだった。

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